プロフィール

遠藤響子 シンガー&ソングライター
(1998年に遠藤京子より改名)

1959年3月17日生まれ 静岡県出身
名古屋芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒。
大学在学中、第10回世界歌謡祭(1979)に「カリビアン・レビュー」のコーラスとして参加。双眼鏡で覗いていたレコードマンにスカウトされ1981年ビクターレコードより「告白テレフォン」でデビュー。以後シンガーソングライターとしてCD発表を続ける。
活動の幅は広く、テレビドラマ(3年B組慣八先生他)、映画(森田芳光監督「それから」他)に女優として出演、ラジオDJ(NHKサウンドストリートシリーズ他)などにも出演多数。
代表作はテレビドラマ山田太一脚本「輝きたいの」主題歌「輝きたいの」。女優としても出演したテレビドラマ「離婚テキレイ期」主題歌「雪が降るまえに」など。
他アーティストにも作家として楽曲を多数提供している。(酒井法子、森山良子、永井真理子他)
2003年よりプライベートレーベル「Pure Mode Records」で活動中。2007年発表“愛のおはなし”は通算14枚目のアルバム。

MOVIE

1986

「ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け」 
高橋源一郎原作 山川直人監督 三上博史主演
オリーブ役

1985

「それから」
森田芳光監督 松田優作主演
芸者久米香役

1998

「Beautiful Sunday」
中島哲也監督+脚本 永瀬正敏、尾藤桃子主演
落合香子役

RADIO

1982.4〜1985.3

東海ラジオ「京子の浮気でナイト」パーソナリティー

1982.7〜1986.4

NHKFM「音楽講座シリーズ」 レギュラーアシスタント
大滝詠一レコーディング講座、山下達郎ポップス講座、
細野晴臣作曲講座、松任谷正隆アレンジ講座、
サウンドクリエーターの世界
(後藤次利、井上鑑、大村雅朗、伊藤銀次)

1984

MBSラジオ「ウィークエンド・イングス」司会

1985.4〜1985.9

NHKFM「午後のサウンド」パーソナリティー

1992 ?

FM長崎「ショコラダムール」パーソナリティー

1993

FM富士「恋の落書き」パーソナリティー

1994

FM仙台「POPSと生活」パーソナリティー

TV

1982.04〜1983.03

TBSドラマ「3年B組慣八先生」
川谷拓三主演
マドンナ音楽教師、月代早苗役

1983.08〜1984.01

ポーラテレビ小説「千春子」
久里子役

1983.07〜1983.09

日本テレビバラエティー「サンデースクエア」
総合司会

1984.01〜1984.03

TBSドラマ「徹と由紀子」
中井貴一、石原真理子主演
早苗役

1984.10〜1984.12

TBSドラマ「離婚テキレイ期」
朝丘ルリ子主演
奈緒役

1986.02

NHK銀河テレビ小説「まんだら屋の良太」
杉本哲太、石野陽子主演
久子役

1987.01〜1987.03

TBSドラマ「親子漫才」
大原麗子主演

1991

東芝日曜劇場「女ですもん」
紺野美紗子主演

CM

198?
198?
199?
1992

フジッコ煮 理屈ぬき編 ナレーション
大阪ガス ナレーション
TBC 音楽担当
リプトン紅茶 はじめてのケンカ編 音楽担当

エッセイ

エッセイ 1992

シネマエッセイ 1993

デビュー25周年写真館



その1
デビューのきっかけとなった世界歌謡祭1979(於:武道館)でのひとこま・大きなイベントにいきなり参加してスタイリストやらヘアメイクやら ディレクターまでついて本番前には合宿してさらに歌謡祭前の2週間は東京のホテルに缶詰。しろうとのこわさで我々は担当ディレクターのことをピーマンと呼んでいた。何故なら頭がからっぽだからという見解。怖ーっ!
武道館会場の進行説明は一人の人がフランス語、英語、日本語でするのにはびっくり。さらに武道館なのにコーラスでも本番のモニターはびっくりするほど聞きやすく歌いやすかったのを今でも覚えている。何もかもが贅沢なイベントだった。貴重な経験のひとつ。

デビュー直前の私
こんなころもあったノネ

その2
いわゆる宣材という(業界ではアー写(しゃ))、初めてスタジオで撮った写真。 これを撮った頃は、先にレコード会社が決まりそれから所属事務所を探した。 某有名プロダクション面接時に社長さんに言われたことは今でも覚えている。 「君ィ、その前歯どうにかならないかねぇ。」 「え?これですか。私全然気にしていませんけど。」 「君が気にならなくても、僕が気になるんだよ。」 その頃あごのわりに歯が小さい私の前歯は1oぐらいの隙間があった。 今でこそ、そこを見る美意識はさすがと思うが当時は全く気にかけていなかった。 さすがに大人になってはやらなかったが、とうふが歯の間からぬるーっと出せると 子供の頃は人に見せて喜んでいたのだから。 だからこの写真も歯の間がビミョーに開いている。



その3
デビューして翌年から3年B組貫八先生のドラマが始まりました。今では考えられない1年クールです。収録1回目のリハーサルの前に個別に演技指導が1回だけありました。後は全くなし。撮影中も。カメラが回ると何かしなければいけない気分になり、放送に必要な台本のパーツが終わっても、いつもカットがなかなかかかりませんでした。ので、何かしらやってスタッフには受けてました。今思えばドラマの撮影は楽しいばかりでした。 新人ということでスタッフのみなさま、出演者のみなさまにも本当によくして頂きました。 この時の先生役の一人、大森さんから頂いた手鏡は今でも使っています。 写真はこんなことをしても怒られませんでした。調子に乗ってますね。

その4
事務所が何を思ったか、こんなこともやっていました!
人に言われて飛び込んだこの業界。(全然躊躇などしていなく、ホントは飛び込んでナイノ)
しかし自分では全く芸能人になろうなどと思ったことは一度もなく。さりとて音楽で身を立てるとも思っていなく。
今思えば、はなはだ無責任な日々を送っていました。ラッキーと言えばラッキーですが、もし私に自分はこうなりたいんだという明確なビジョンがこんな写真を撮っていた頃にすでにあったなら、もっと違う人生だったに違いありません。
当時、私の内部を反映して(事務所もこの子をどうやって売ろうかと考えあぐねていた)シンガーソングライター、女優、DJ、エッセイ、バラエティーの司会と、何でもよく考えずにやっていました。
これをひとよんで『若さ』と言うのか!アハハ!


1982年7月4日号


1983年11月号

その5
かわいい子犬ちゃんを抱いての撮影はもぞもぞ動いて大変でした。 「いやだよ〜」と言ってたと思います。