エッセイ

「週間TVガイド」 遠藤京子のシネマエッセイ
 いいことあるよ 

「去年マリエンバートで」

 例えば、やたら一流ホテルのレストランで出て来たフルーツは見た事もない変わった形でその皮がもうこれすごく固くて回りをキョロキョロしながらやっとの思いで開けたら中身はどこも食べるとこがなくて、どうしたらいいかわからなくて、へっ?って感じ。
ふう長かった。今週から始まった遠藤京子の「いいことあるよ・シネマエッセイ」。最初に選んだのは「去年マリエンバートで」。
選んだ理由はこの街は「去年〜」のモデルになったらしいよのひと言に誘われてその街「マリエンスケ・ラーズニェ(ドイツ国境近くチェコの西部にある街)」に行ったから。ボヘミアの森に抱かれた緑の街をまだ見ぬ映画に恋しながら、ゆっくり歩き写真を撮り記憶にも留め・・・。あなたもあるでしょ。このホテルは実際「北ホテル」の舞台となりましたって聞くだけでホーッとなるのって。でもね今回の映画はね、そんなレベルじゃなくて、冒頭の表現がピッタリなの。マリエンスケとマリエンバートのマリエまでは一緒でも飛び乗ったトラムも緑の街も明るい太陽も何ひとつ出て来なかった。このギャップ。やっぱり生きてるといい事あるよねーっ!

93.8.20号

「愛に関する短いフィルム」

 初対面でも物怖じせず堂々としてるのがいいとされてるよね。人見知りって何よって感じで明るく振る舞うのがいいとされてるよね。友達はたくさん居て、すぐに友達が出来るのがいいとされてるよね。隠し事はせずオープンでいつもニコニコがいいとされてるよね。
 でもそれって本当かなーって思う。子供を見ればわかるけど、子供は初めて会った人の事はじーっと観察するよ。動物が臭いを嗅ぐみたいに。それがごく自然な事だと思う。なのに人は他人に対して冒頭の様な良いイメージを少しでも振り撒こうと躍起になってる気がする。私にはそれが憐れに見える。だって無理をしているから。
 この映画はひと言で言えば誰も笑わないし、暗いし、覗きの話で、自殺未遂も出てきちゃう、すべてが世間で言う憐れに値する事柄なの。でも私はこっちの方がずーっと信用できるの。だって本当なんだもの。まじめに生きれば苦しいし格好悪いもん。そー言う所を過度の演出もなく淡々と描いてる。これがまた信用出来ちゃうのよねーっ。きゃはっ、いい映画見つけちゃったっと!

93.8.27号


「バグジー」

 高倉健さんの映画を見たら出てくる時はみんな肩を揺らしてヤクザ風になってるってあるよね。2時間ある物を見てすっかりその気になる私達。これもマインドコントロールなんだろうね。でも2時間だよ、たったの2時間ポッキリ。人間の想像力ってすごいよね。可愛いってば可愛いけど。
 めったに映画館には行かないんだけど、私もその可愛い人間の一人だったよ。アネット・ベニングにイチコロさ。高いヒールにタイトスカート、ルーズなポンパドール。思わずパンフレット買っちゃったもんね。こういうのファン心理って言うのかな。マネをしたいって思うのって何なんだろね。その人になれはしないのに、自分のスタイルの指針を見つけた様な安堵感があるのかな。するとミニが流行ればみんなで渡れば怖くないのあれと同じ事?ううん、もっと罪のない所だよね。でもその後日、雑誌取材の彼女(アネット)を見たらあのマネをしたいムードはひとかけらもなく、ただのおばさんだった。わ、わたしを騙したのねって・・・。映画スターもつらいだろうけど私もつらかった。

93.9.3号


「羊たちの沈黙」

 初めてホラームービーを見たのは今から何年前だろう。あの「エクソシスト」を見たのは・・・。あの時はホントにびっくりした。首が360度回っちゃうんだもの。トリックを鵜呑みにする初心さが今となってはなつかしい。
 いきなり「エクソシスト」と「羊たちの沈黙」を並べるのはなんなんだけど、でも後に残った感触が同じだったんだもの。あのボーッと場内の照明がついて、ゾロゾロ出口へ向かうあの瞬間、みんな今見た映画について早く何か言いたいんだけど、とりあえず映画館を出るまではと口をつぐんでいるあの1〜2分足らずの空気。それが「羊〜」と「エク〜」は何故か同じだった。
 個人的にジョディ・フォスターは好きとか、ジョナサン・デミが脚本とか、をすっ飛ばして考えた。残った物は「サービス映画」だからだと言う事になった。根底に流れるサービス精神がやっぱアメリカ映画って似てるよね。商業なんだろうな。どんなに流派は違っても目的はひとつって所かな。ところでなんで「羊たち〜」って「羊達〜」じゃないのかな。

93.9.10号


「質屋」

 世の中に「食い合わせ」って言葉があるよねェ。うなぎと梅干しを同時に食べると身体に悪いっていう、あれ。スイカと天ぷらってのもあったかな。食い合わせってのは字からすると食べ物に限るけど、自分と物との読み合わせ、観合わせってのもあると思うよ。
 例えば今年6月にニューカレドニアに行った時に読んだV・Cアンドリュース作の「ヘブン」。これは抜群に良い方の読み合わせだったのよ。天国の様な島で天国という名の小説を読む。これだけでもうワクワク。内容はこれまたなんとアメリカ版「おしん」。ドキュメントではない気楽さといい本当にいい組み合わせだった。
 ところが私がこの「質屋」を見たのはやたら暑い日の午後、季節はずれのセミが鳴いていた。精神的にも余裕のある時ではなかった。そこへこのクインシー・ジョーンズの奏でる一見華やかなメロディーとそしてモノクロームの画面。過去に勝てない男の話。やたらヘビーな「観合わせ」だった。もしあなたの心が今冒険心に溢れていたらこの映画は良い「観合わせ」になると思うよ。

93.9.17号


「それから」

 ねェ、知ってた?私この映画に出てるんだよ。芸子の久米香っていう役で。「ブタの鼻」がどーとかこーとか、ケロケロッて言ってるの。その後、東京音頭を松田優作さんとあともう一人の芸子さんとで踊ってそれでおしまい。撮影は1日でリハーサルは2〜3回やってすぐ本番だった。
 その時に感じたのは、映画作りって現場では瞬間瞬間がおそろしく小さなパーツなんだなぁという事。その小さなパーツを最終的に組み合わせて2時間ぐらいの作品を作るんだから監督ってあったまいいんだなあと思った。だって常に自分のやりたい事を念頭に置きスタッフに伝えイメージに合ったパーツを作るんだもの。私の仕事なんか1曲で4〜5分。すぐにどんなか見えちゃう。しかも私はいつも主役。この映画に出て以来、作品の中のパーツとして動くのも楽しいものかもしれないと思った。もちろんパーツはパーツの主張があるのかもしれないけど、最終的には映画って監督の物だなって思った。
 誰か私、遠藤京子をパーツとして使ってみる気はないかな?

93.9.24号


「わが心のボルチモア」

 「家族会」って言うのに出席した事ある?日本で言ったら法事かなあ。うーんそれとも違うもっとFAMILYって文字がネオン管の看板みたいに燃然と輝くみたいなの。時代もあるんだろうけどちょっと憧れちゃうな。ちゃんと議長が居て、自分の意見をみんなの前で言う所なんかいいよね。そのくせ血の繋がりが心を許すのか言わなくてもいい事まで言って議長が怒って降りちゃう。「まあ」って顔を見合わす伯母さん達。そんな事には全く頓着ない子供達。この映画では家族と言うのが親戚全員を指すんだなあ。なかなか今の日本では親戚の隅々まで面識がある人と言うのはそう居ないんじゃないかなあ。荻野目洋子ちゃんだったか、ヒット曲が出た頃、家に居たらピンポ〜ンで誰かが来て見たら知らないおじさんが立っている。どなたですかと聞くと、「親戚の者です。」と答えたと言う。っと言っちゃあ淋しいけどこの程度かもしれない。日本の家族って・・・せいぜい結婚式で見た事のない親戚と交流をって事かしら。でもねェそれも面倒臭いのよね。う〜んやっぱりだめだこりゃ。

93.10.1号


「ツイン・ピークス ローラ・パーマー最後の7日間」

 一応私、歌手なのね。それで自分で曲を作ったり、コンサートの演出とかするわけ。その時に心底、心を砕くのはどうやったらわかってもらえるかなの。苦しみも悲しみもなるべくみんなが知ってる物をって考えるの。
 デビッド・リンチ・・・・・何、食べてんのかなぁ。本読んだりするのかナ。缶コーヒー飲んだりするのかナ。どんなお家に住んでるんだろね。わかった?ツイン・ピークス。わかんない所がいいって、そこがいいんだって何度も言われた。でもサ、なんで森の中にローズベルベットのカーテンなわけ?美味しそうなチェリーパイはわかるんだけど。ワクワクするって言うより、ずーっと便秘でおトイレで随分頑張ったんだけども、って感じ。
 けどそう言いながらだから最後まで見ちゃったんだろうナ。結論をひたすら求めて。毎日ビデオ屋に通ったもん。あっはめられたと気付いたのは最終章の最後のシーン。なんか会った事もないデビッド・リンチさんのほくそ笑む顔がぶわーっと浮かんじゃったもの。いっそあなたも私と一緒で、はめられてみる?

93.10.8号


「ふたりのベロニカ」

 私にとって双子ってすんごい謎でさ。ちょっとした憧れも含めてどんな感じなの?自分に良く似たもう一人が目の前にいるって。雅子様の妹さんが双子で何度TVで見てもそりゃあそっくりで、歩くテンポまで一緒で。どう見たって一人なんだよなぁ。二人写ってるんだけど、一人なんだよなぁ。こんな事言うと双子の人に怒られちゃうかもしれないね・・・。
 「ちゃんと別々の人格がありますっ!」って。でももう仲がいいとかそんなレベルの話じゃないみたい。この世に生まれてみんなそれぞれ一人ぼっちなんだけどさ、双子の人ってそうじゃないように思えちゃうの。心底繋がってるっていうか、お互いだけが分かる虫の知らせコールばんばん飛ばしてさ、いいなぁ一人ぼっちじゃなくてって。違う?もっと深い繋がりって言えば、ソウル・ツインってのもあるらしいね。前世で双子だったとか兄弟だったとかって。それで今世に巡り合うって言うの。とりあえず私は今回双子には生まれて来なかったから、是非そのソウル・ツインの人に会ってみたいな・・・なんてこの映画を見て思ったよ。

93.10.15号


「真夜中の恋愛論」

 寝ても覚めても同じ場面でこんこんとわき出る泉の様な映画だった。寝ても覚めてもと言うのは本当に寝てしまったのであってふと気がつくとまた同じ場面で同じ様な会話が続いていた。なる程これが「真夜中の恋愛論」ねと、勝手に合点がいった。
 歌舞伎が好きで時々見に行く。と、やっぱり寝てしまう。あれは幕間とあわせれば4時間ぐらいも芝居小屋に居る事になる。舞台を懸命に努める人には大変失礼なのだが、寝て起きてもまだ演っていると言う何ともその豊かさが気に入っている。座席を見渡せば何人もそんな人が居る。何も熟睡するわけではなくうつらうつらと船を漕ぎ、ひいきの役者が出て来るとパッと舞台に見入る。そして例えば今日の玉三郎さんは良かったとか言って帰って行く。平和と言う文字が湯気付きでぽわんと浮かぶ。
 TVの場合、当然ソファで横になりながら見ているうちに寝てしまうというのもひとつの幸せであって、すっごく変な紹介の仕方なんだけど、この映画はそれにいいかもしれない。

93.10.22号


「ポンヌフの恋人」

 のっけのシーンがむちゃくちゃショックで立ち直れないまま映画が終わっちゃったの。この映画はキャスティングやら製作期間、製作費等々話題性に事欠かずたくさんの人が映画館に足を運んだことだろうと思う。だからいろんな人のいろんな意見がある所だと思うけど、私はとにかく最初のシーンが強烈でびっくりしたまま感想とかなくてそれだけなの。
 それはどんなシーンかと言うと、ドラッグ漬けや家のない人達を一時的に預かる宿泊所の様な所のシーン。わめき立てている女性がやにわ背の高い男の人に殴られたり、酒に酔っているのか冷たい白いタイルの上に木片の様に人が寝ていたり。あれは絶対にノンフィクションだと思う。そこに主役の男の子が一人入って演技をするんだけど、やっぱり本物には勝てなくて・・・。
 生の迫力って言えばそれまでで、私はそれを映画館の大画面で、さぁ始まるぞのすごい集中力の時に見ちゃったもんだから。その後のフィクションが浮いちゃって、結果ノンフィクション>フィクションの図式にとうとう勝てなかったの。

93.10.29号


「ゴースト ニューヨークの幻」

 子供の頃、言われませんでした?「いい子にしてないと怖いよー、おばけが来るよー」って。声色を変えて子供に言う大人はほんの少しの遊び心で言っている様なものですけれど、この映画ってまさにそれなんですね。
 悪事を重ねた人が死ぬ時ってホントにあんななのかしら。道路に写る黒い影から黒いマントを羽織った骸骨が何体も浮かび上がり、いわゆる天国ではなくて、地獄へわーっと連れて行かれちゃうの。そこに閻魔様が居るか居ないかは、わからなかったけど、何だかすごく怖かった。「おばけに連れてかれちゃうよー」のそのものを見ちゃった感じ。
 反対に善人は死ぬと空から光が降って来て高い所へ連れて行かれるの。
 単純に考えちゃうよね。「自分はどっち?」って。でもこの考えはすでに小さい頃「いい子にしていないとおばけが来る」と言われる度に小さな胸を痛めて考えた様な気がする。でも結局考えても考えても答えは出なかった。それをこんな大人になってもまた考えさせられるとは・・・。そして、また答えは出ないのだった。

93.11.5号


「麦秋」

 私ね、小津安二郎の映画を初めて見たのはなんとパリでなんだよ。サンジェルマン・デ・プレにある映画館で、仏語の字幕スーパー付きのを見たの。もう3年ぐらい前になるかな。当然そこにはたくさんの外人が居て、この場合、正式には私の方が外人なんだけど、なんとなく日本の映画を目の前にすると内心「ええ?この日本的情緒が君達外人にわかる?」なあんて思っちゃった。「ありがと」と言う少し訛りのある表現。「東京物語」の中で上京したおばあちゃんがこのセリフをゆっくり言うニュアンス。そこには迷惑かけてすまないとか、私達は田舎者でとかいろいろある。でも字幕では「Merci」となっていた。それ以上は訳しようがない。TVでおしんも放送していたがこれもすごかった。「おかっちゃん」が「Maman」「おとっちゃん」が「Papa」これまた仕方がない。
 小津安二郎の映画ファンは世界中にたくさん居る。私が心配するまでもなくこう言った壁などないのかなと思う。だって反対だってあるもんね。私達外国の映画見て外人なのにいいって言うもんね。

93.11.12号


「シドニー・シェルダン 時間の砂」

 もう、読みました?どれかひとつぐらいきっと読んだでしょ?私は一連のシドニー・シェルダン物の中から2つ。「時間の砂」と「ゲームの達人」を読んだんだけれども、どうもタッチが似ていて、今ではどっちがどういう内容だったかごっちゃになってしまっているの。それはどんなタッチかと言うと、私達一庶民とは程遠い世界の話だという事。程遠いんじゃなくて、言ってしまえばディズニーワールド的でファンタジーサスペンスって感じ。宝石、殺人、スパイ、高層ビル、美人、株、変装、ニューヨーク、ローマ。
 みんな大好きでしょ?こういうの。私も大好き。あり得ないと知っていても酔えちゃうのよねー。知っている限りでは7つのシリーズがあると思うんだけれど、またその気になったら読もうと思ってるの。その気になったらの“その気”というのは人間関係に疲れた時なんかの事ね。それとか人生考え過ぎて煮詰まった時とかにいいよね。このジェフリー物は。
 今回はTV化された物だけれど合わせて本も読むといいと思いますよ。
 秋深し・・・・ですものね。

93.11.19号


「愛人 ラマン」

 この映画は残念ながらビデオで見たの。8月に。でも今は晩秋。こっちの方がずっとムードが出ていいかもしれないね。
 今、思い出すとこの映画はカラーだったのにセピア色の記憶なんだよね。遠い昔を思い出すように。二度と戻れない哀しさや二度と戻りたくない哀しさがごちゃまぜになった様な感じ。不思議だね、映画の記憶って。「ダイ・ハード」って言ったら高層ビルの中階あたりでぼうぼう火を吹いてる図が浮かぶし、「美女と野獣」って言ったら大広間でダンスをする二人が浮かぶし、時が立っても残っている印象ってのがその映画の本当に言いたい事なんだろうね。
 このラマンは実際に回想録の様に作られているから、見た私の記憶もリンクしてセピア色になるんだろうね。ポスターもマルグリット・デュラスの写真と同じ様にセピア色だったしね。最後に流れるショパンのメロディーも泣かせるよ。
 遠い記憶→セピア色→ショパン→晩秋。いいなあピッタリだと思うよ。今の季節に。冬眠する熊さんみたいに冬越えに備えてラマンを見て、記憶のヒダを増やしてね。

93.11.26号


「グリーン・カード」

 世の中、今こういう時流ですってのはあんまり好きではないんだけど、それでもすごく顕著な動きがあるよね。それは私の周りに起こっている事だけど。もう洋服買うの飽きちゃったでしょ。ブランド品とか。するとその次の消費意欲はどこに行くかというとずばり、インテリアなのよね。カップ、お皿、テーブル、ソファー、カーテン、つまり居住空間に興味のある人多いのよ。違いは今まで外を歩いて見せてた人が今度は家の中を見せるって事だろうね。不景気でみそ、醤油が売れて、ホームパーティーが流行る。という事はお客様に見せて「いいね」と言われる為にも良いソファーや良いテーブルが必要な訳よね。
 ところでなんでインテリアの話になっちゃったかと言うと、このグリーンカードの中に出てくる彼女(ベティー)の部屋がすごいのよ。ペントハウス風で植物園の中に住むって感じ。このアパートの為に彼女は偽装結婚が必要だったって訳なんだけど。話の内容は丸見えの単なるラブコメディーね。でもこのアパートがすごいから。一度見てみてね。

93.12.10号


「ケープ・フィアー」

 この映画は何と言うか、サスペンス物って言うのかナ。でも何かすごく疲れたよ、見終わった後に、理由をずっと考えてた。「羊たちの沈黙」みたいに、人間の顔のホルマリン漬けがあるわけではないし、殺人ってのも話の中にあるんだけど、映像でショッキングなんじゃないのよね。展開が早いわけでもない。でも見終わった後にゲソーッとするの。御飯たべられないーって感じ。
 それでね、やっと気がついたのよ、しばらくして。あのね、この話は一人が復讐に燃えて一人を殺そうとする話なんだけど、映画を見て行くにつれ、どっちの味方をしたらいいのかわからなくなっちゃうのよ。正義と悪義が入れ代わり立ち代わりなの。サッカーの応援だってどちらかの味方をするからオーッてなるでしょ。負けて悔しーってのもどちらかの肩を持ってるからでしょ。それなのにこの映画わからなくなっちゃうのよ。それだったら「ロッキー」にすればって事になっちゃうけど、でもロバート・デニーロは素敵だったから許しちゃおっと。見るんだったら先に御飯食べておいてね。

93.12.17号


「ナースコール」

 私達は天使じゃない。のこの言葉の意味、私はもうこの映画を見るずい分前から知っていたよ。あれは大学の時、やっぱりクリスマスの夜だった。私達アマチュアバンドが、病院のパーティーでの演奏を頼まれた。かなり大きな整形外科の病棟の2F。会議室みたいな所で。1Fには足にギブスをはめた人、松葉杖の人が廊下の椅子に座ってた。さてパーティーが始まり、そこに来たのは制服を脱いだ看護婦さん達だった。持ち歌のない私達アマ・バンドはすごい音で(病院なのに)ディープ・パープル、アリス、エルビス・プレスリーと支離滅裂な演奏をした。そして彼女達はそんな演奏でも踊り狂っていた。その時私は「彼女達は天使じゃない」と思った。その夜にうるさくて眠れないと苦情を言ってきた患者さんは一人も居なかった。
 この時受けたパンチに比べると、まだまだこの映画、天使じゃないのギャップが少ないというか、甘いというか。やっぱりあんな風にキャンドルサービスする彼女達を描くこの映画って、心の奥に、看護婦はこうあって欲しいとか、はたまた女性はこうあって欲しいとかがあるんじゃないの?

93.12.24号


「ベティ・ブルー インテグラル」

 このインテグラルって言うのはノーカット、無修正の完全版って意味なんだけれど、映画監督と言うのは最初からいつかこのインテグラル版を発表するんだって前提で映画を作るらしいね。御存知いつ発表出来るかは世間の皆様にかかっているの。それでも監督は自分の世界を表現するには通常の2時間程度のワクを超えた所で作品を作る。そしてそれを誰に言われるのか、カットして短い物を発表する。そんな監督にとって完全版を発表出来ると言うのはすごい誇りだと思うよ。そう言えばニューシネマパラダイスもそうだったね。
 さてベティ・ブルー・インテグラル版を見た感想は・・・。カット版の方はベアトリス・ダルの過激なイメージばかりが印象に残ったけれど、完全版はそこに漂う空気が増えたせいか、相手役のジャン・ユーグ・アングラードがとても光って見えたよ。主役は実は彼なんじゃないかと、これは彼の人生のフィルムなんじゃないかと思える程だった。一度見た人は是非もう一度このインテグラル版を見て楽しんでね。

94.1.7合併号 その1


「渋滞」

 この時期に「渋滞」を放送するって言うユーモアが気に入って、思わずペンを取りました。
 誰もが一度は巻き込まれた事のある渋滞。何と言っても家族連れにとって車の移動と言うのはDoor to Doorの魅力ですよね。子供はお昼寝も出来るし、故郷のおばあちゃんへの御土産も車に積めばOK。
 しかし大変な思いをして田舎へと言うのも大きな動因力は何と言っても子供が居るから。孫に会いたがるおじいちゃんおばあちゃんが居ての事。それも小学生か中学生くらいまで。大学生にもなるとてんでバラバラなお正月になんて事もある。そして何より田舎があると言う事が大切。東京生まれの東京育ちの人は帰る田舎があるのをとても羨みます。
 こうして考えると渋滞に巻き込まれると言うのはある意味で幸せの象徴に見えて来ます。渋滞に遭えばそれはそれで疲れるんですけど・・・。
 家族連れの方は限られたチャンスだと思って観念してね。そして運転するパパはもっと観念してね。

94.1.7合併号 その2


「ハワーズ・エンド」

 お話としては、「ハワーズ・エンド」という魅力的な別荘があってその持ち主が2代続いて女主人になったって事なんだけど、それよりなにより、やっぱりビデオで見ちゃいけない映画ってホントあるねぇ。衛星放送で画質が良ければ大分マシだと思うけど、この映画、60%は映像が勝負だと思うのよ。ハワーズ・エンドという人を魅了させる邸宅の壁の色、からまる藤の木、庭を駆け抜ける風、水滴をしたたらせている雨上がりの花びら。手の込んだレースの襟、品の良い紳士、淑女。レンタルビデオの傷んだ画像では、伝わらないのよ、そう言う大事な気配が。ノスタルジー感全く無し。気の抜けたサイダーみたい。良い映画ってやっぱり脚本はもちろん大事だけど、そのムードが自分に乗り移る楽しさってあるよね。
 この映画をレンタルビデオで見て映画館の良さを発見。そしてON・AIRの時はなるべくみなさんが良い画像でこの「ハワーズ・エンド」を見て下さるといいなと思います。だってそうしないと約143分と長い映画なので、飽きてしまうかもしれません。

94.1.14号


「フック」

 おなじみピーターパンに出てくるフック船長のお話。お正月のディズニー映画に飽きたらこれがいいかも。アニメよりも生身の人間が演じていると言う現実感があるし、でもとてもファンタジック。音楽はもちろんジョン・ウィリアムス。少なくとも「ジュラシック・パーク」より脚本がしっかりしているだけにこっちの方がずっとおもしろかった。
 ただしひとつだけガッカリの所があったの。これは私だけかもしれないし、ファンの方には申しわけないんだけども・・・。ジュリア・ロバーツのティンカーベルなの。これだけはアニメのままが良かったわ。子供の頃からティンカーベルと言ったらディズニーのティンカーなのよ。ちょんちょん飛ぶ度にキラキラ光の粉が舞い散って、そのイメージはコメットさんの魔法の杖みたいに憧れを感じるの。薄い羽がせわしく動いて、小さなポニーテール。ジュリア・ロバーツのティンカーは、ショートヘアでとてもボーイッシュだった。な〜んかイメージピンとこなかったわ。でも映画はとてもいい映画よ。是非見てね。

94.1.21号


「恋のエチュード」

 「マディソン郡の橋」はもう読みました?この映画はそれと正反対と思ってくれて間違いなしです。ただしあちらはタイトルが「マディソン郡の橋」と堅いのに真実の恋のお話。こちらは「恋のエチュード」といかにもだけど実は原題から行くと二人のイギリス人とヨーロッパ人のお話。ややこしいね。
 このタイトルって、よく騙されるよね。洋題を邦題にする場合そこに宣伝効果もプラスされちゃうからね。仕方ないと言えばそうなんだけどでも映画の受け取り方が変わっちゃうから私はちょっと不満。
 最近見た「愛を弾く女」(仏)もポスターにはエマニュエル・ベアールが主演風にでかでかと載っていた。でも原題は「冬の心」で主役は彼女ではなかった。この差はちょっとショックだった。
 とにかくこの「恋のエチュード」は中身はそうではないと言う事。出てくる3人は組んずほぐれつ好きだの愛してるだの言ってはいますが、二人のイギリス人と一人のヨーロッパ人の三つの個性のお話です。どうせなら私は「トライアングル」ってタイトルつけちゃうわ。でも地味よね・・・。

94.1.28号


「髪結いの亭主」

 いいよ〜ん。是非見て欲しいナ、これは。これぞ映画って感じよ。良く表現してあるもの。なんてったってとっても口では表せない感情や匂いが立ち込めているの。「いい気持ち」と「いい匂い」程伝えるのが難しい物はないよね。それがくんくん嗅げちゃうんだなこの映画は。
 美容院でシャンプーしてもらっている時のあの幸福感。恋人でもないのに他人に触ってもらって気持いーんだから、私は長年なんかいけない事かもしれないと思って、誰にも言えなかった。でもみんなそう思ってたのねってこの映画見てなんか安心しちゃったよ。ここに出てくる男の子は髪の毛を触ってもらうのと近所では評判の悪い理髪店の女主人の腋臭にくらくら来て、よし!髪結いの亭主になるぞと決めるわけ。そしてある種浮き世離れした生活を送るの。始終かかるアラブミュージックも盛り上げてくれる。
 そうそう全然違う話だけど家でたまに腕立て伏せとか腹筋運動したりするの。その時のBGMは前はハウス物だったんだけど、結構いけるのが、このアラブ音楽。変に力入らなくていいの。やって見てね。

94.2.4号


「ゆりかごを揺らす手」

 おもしろかったよ。最後まで飽きなかったもん。たまにはこうゆうのもいいね。暖房の効いたあったかーいお部屋で見るのがいいと思うよ。何と言ってもレベッカ・デモーネイの怪演がみものよ。オリビア・ニュートンジョンばりの前髪で年齢不詳ないで立ちもgood。母をたずねて三千里の逆パターンもそうだけど私たちって母が子を、子が母をって言うの好きよねー。
 これはね自分のBabyを殺されたわけじゃないんだけど、嘆きのあまり逆恨みと言うか、間接的なかかわりだったあるFamilyに復讐するお話。でもその復讐劇の中に見えかくれする犯人の一時幸福そうな授乳シーンがあったりするわけ。それも自分の子じゃなくて家政婦としてもぐり込んだそこんちのBabyにね、勝手にあげちゃうの。ね、不気味でしょ。私は同じ不気味でもエイリアンの様なヌルヌル・グチャグチャ物はだめなの。必ずと言っていい程あの手の妖怪はゼラチン納豆質でしょ。それに比べて、同じ不気味でも「ゆりかご〜」はありそうな不気味だから余計にもっと不気味なの。

94.2.11号


「火宅の人」

 「火宅」って煩悩に悩まされる事を言うんだって。煩悩って言うのは心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望と辞書に書いてあった。
 それにしたって何にしたってこの映画、あの田嶋陽子先生が御覧になったら、何とおっしゃるだろう。夫の浮気が煩悩だか、身をこがすだか知りませんけど、愛人つくってSEXして、ちゃんと帰る所あってやりたい事全部やってんだから、「不安の絶えない〜」なんてちゃんちゃらおかしいわ。全然そんなに深刻になる事じゃないじゃない!って小田嶋陽子(スミマセン、チャッカリ)は吠えるのだった。みんな怖いんだからサ、たった一人君だけうぬぼれるなよって感じ。まっ、時代もあるかナ。今だったら主人公にヘレン・E・フィッシャーのアナトミー・オブ・ラブという本をお薦めするわ。男性には自分の遺伝子をばらまきたいと言う、生物学的要求がDNAの中に組み込まれている。つまる所、浮気は煩悩じゃなくてDNAの仕業かも・・・と言う学術的なお話。どうする?みなさん。これがホントだったら。相手はDNAよ。煩悩じゃなくて・・・。

94.2.18号


「タンポポ」

 以前にシドニー・シェルダン物は時間がたつと違う作品も同じ印象になるってお話したよね。申し訳ないんだけど伊丹作品もだんだん私そうなって来ちゃったの。「お葬式」はかなり強烈だったから覚えてはいるんだけど、「タンポポ」「マルサの女」「あげまん」、なんだか今となっては全部同じ顔の宮本信子さんなの。こうなると連ドラ見てる様な気になっちゃうから不思議よねー。見てない「あげまん」以降の作品も見た様な気になっちゃってるし。「ミンボーの女」もワイドショー見てただけなのに知ってる気がするもん。何と言うかこれは“親しみ”って事でしょうかね。キョンキョンをCMでしょっちゅう見てすっかり知った様な気になるのと同じなんでしょうか・・・。
 いずれにせよ伊丹映画はお茶の間進入を見事果たしている訳でして、でも私の様な人がたくさん増えると、見てもいないのに見た気になるわけだから、映画館には人が入らなくなっちゃって伊丹さんは困るのよね。
 でもこの「タンポポ」は実際見ました。おもしろかったです。ハイ。

94.2.25号


「ローズ」

 この映画を見たのはすごーく前、もう14年くらい前かも。立ち見で映画を見たのは後にも先にもこの映画だけ。それくらい辛抱足りない私を釘づけにした、パワーのある映画よ。
 ジャニス・ジョプリンをモデルにしてるとは言え、やはりベット・ミドラーって人がすごいのよね(皆もう知ってるよね)。
 今でも覚えてるのはローズ(ベット・ミドラー演じる所の)がステージ本番前に鏡の前でいくつものろうそくに囲まれて、まるで蒸気機関車が走り出す様にハッハッとうなるというか、テンションを上げて行くシーン。全編にわたって表現される孤独が最もよくわかるシーンだった。
 それと忘れられないのはやっぱりテーマ曲「The Rose」を歌う所かな。観客の前で「みんなどこへ行くの?」と呟き息絶えるローズ。何かを強く求めると傷つくんだなとまだ若い私はぼんやりこの映画を見て思ったよ。
 それにもっと驚きはこの映画はアメリカで1979年に封切られたんだけど、ベット・ミドラーはこの映画がデビューって事。デビューでこの演技。すんごいよねー。

94.3.4号


「訴訟」

 こ、これが映画?もう一度言っちゃお、こ、これが映画?なーんて言いたくなる程、なんだこれは?の連続でした。
 よくある米のテレビドラマの様です。わかりやすいカメラアングル、怒鳴るか悟るしかない声のトーン、スポーツカーでかっ飛ばす時に流れるBGMの使い方。それでもこの裁判物と言うのは嫌いじゃなくて、一応見せ場はありました。ほんの10分程。そっ、ほんの10分。
 それなら、これぞ映画と言う私なりの定義を申し上げますと、まず時間の意味。大抵の映画は2時間と言うのがまあだいたいの目安としてありますよね。思うにこの2時間と言うのは人が人をくどいたり(我々の業界で食事会と言えば大抵この2時間)まあ、飽きさせずに済んだり、相手をムードに染めたりするのに目安としてあるんですよね。だったらこの限られた時間を有効に使わないなんて、映画にする必要はないのです。次にやっぱり、その気にさせてよと言う期待。これはTVより映画の方に断然持ちます。まだたくさん思う所はありますが、もう書けないので・・・。人生いつもいい事ばかりじゃありません。

94.3.11号


「ジャングル・フィーバー」

 人間が良い知性(又は向上心)だけで出来ていれば良いのに。人間は進化していたとしても知性の発達から落ちこぼれた邪悪な心をもうすでに植え付けられてしまっている。習慣といっても良いだろう。そこから抜けるのは容易ではない。何故ならそれは習慣だから。逆に良い知性を持ち続ける事は大変な努力が要る。(何故ならそれは習慣ではないから)どちらに傾いてもそれはその人の人生だけれど、この二つの大きな山のせめぎ合いは複雑さを増しながら今日まで何ら変わることなく続いている。肌の色、言語、血筋、宗教、民族、ありとあらゆる手段を用いてアメーバーの様にはびこる差別。
 スパイク・リー監督作品は実は初めて見た。いつもこのコラムは私のイメージを軽く語り続けて来たが、この作品はそうもいかない感じ・・・。作品の随所にうかがえる彼の深い悲しみはちょっとやそっとじゃ、吹き飛ばせない。けれどもスパイク・リーと言う人が良い知性を持ち続けようと努力している人物である事は確かな所。彼のパワーに触れてあなたも考えてね。たまにはこう言うのもいいでしょ。

94.3.18号


「ナイト・オン・ザ・プラネット」

 これは5つの都市で起きたタクシーにまつわるお話。日常タクシーに乗るって事はみなさん1度はおありでしょ。この映画を見たら話の大・小はあるとしてもそうそう、そう言えば私もって思わずおしゃべりしちゃいそうよ。
 そうそう、そう言えば私もね、個人タクシーに乗った時(日本で)何故か運転手さんが自分のお墓の話になっちゃって、自分の子供は一人っ子でしかも娘。それが家を出て嫁に行くって事になったから一体自分の墓は誰が守ってくれるんだって。ずーっとその話。ちょっとつっこみ加減のわからない私としては大層困った。イタリアではどーもぼられているらしい事に気づき、道の真ん中で「ここで、降ろしてくれー!」と騒いだり、とにかくタクシーって不思議な乗り物よね。知らない人の家のドアを開けるといきなりそこは最もプライベートな寝室で、しかもそこに座り込んで、出る時にお金を払うって感じだものね。そこにスポットを当てたジム・ジャームッシュは偉い。さて遠藤京子のシネマエッセイ「いいことあるよ。」は今週でもって終了。また、どこかでね。お互い、いいことありますよーに!!

94.3.25号