エッセイ

 なんのためにパリへ行くかというと 

 年に最低1回は、プライベートで旅行に行く。このごろはパリが多い。今までに4回行った。1度目はロンドンからのバスツアーで2日間。2度目が仏語の勉強で3ヶ月半。3度目と4度目は1ヵ月。2度目からはいつも仏語の勉強を兼ねて行く。と、ここまで言うとものすごいフランス通のフランス語ベラベラとかいった感じになるでしょ?ところが全然違うの。
 仏語は、1人会ってみたい監督がいてその人がフランス人だから始めたの。で、日本で勉強するより行った方が早いというので行ったら、早すぎちゃって1ヵ月は、まるで部屋の隅でおびえる子猫ちゃんのよう。
 人恋し顔の日本人ばかりでお茶を飲むのもむなしいし。それでもただ1人、日本で紹介してもらったパリ在住の日本女性に頼んで、家庭教師を探してもらったときからようやく光が見えてきた感じ。毎日よく勉強した。勉強が嫌いだった私が、知らないことを知るのはこんなに楽しいことかと思えるようになった。そしてあることを発見。
ひとつは、語学はスポーツで、くり返すより上達の方法はないということ。もうひとつは、カッコつけてたらダメということ。

 この自分をごまかすかぎり、人とのコミュニケーションがとれないってのは、仏語に限らず歌を歌っていてもわたしにとっては永遠のテーマ。それがここでも問われるとは。帰るころには友人もでき、彼らも驚くほどの上達ぶり。そして帰国。
 ところがいざ日本へ帰ってみると、あんなに頑張ったパワーはどこへやら。どこへ行くにしても何をするにしても困らない。半月もすると、あの精力的な私は消えてしまった。何か切羽詰まらないと、パワーを発揮できないというか・・・。なので3度目はカリキュラムの厳しい学校を選んで、ヴィシーという街でホームステイをしてみた。12月29日から1ヵ月間、元旦と日曜をのぞいて毎日学校。マイナス18度の中、まだ日が昇る前に学校へ通った。でもこの大変さもこうして日本にいると、するりと忘れてしまう。
 だから何のためにパリへ行くのかというと、言ってしまえばわざわざ“困りに行く”のだった。

1992.11.14
産経新聞 「シティリビング」

@.

A.


 時間はあってないようなもの 

 時計を見ている限り、チクタクと時は1秒づつ確実に進んでいるように見える。けれど、好きな彼との5分はあっという間。嫌いな先生のお説教の5分は長い。楽しい映画の2時間は苦にならなくても、退屈な映画の2時間はゴーモンに近い。東京〜パリ間12時間、機内でほとんど座ったままを日常生活の中で、といったらそれは無理なお話。こんな風に考えると、ある一定の方向に流れているのは感じることができるけれど、時間ってホントにあるのかなって思う。
 私は現在33歳と9ヵ月。ホントにそうだろうか。5歳のころのままのようなところもあるし、40歳のあの人よりずっと私の方が大人びていると思うこともあるし、25歳のあの子の方がずっと成長していると思うこともある。だから、成長は年齢(時間)じゃないな、と思う。この考えに従い、ここでエラソーな事を言わせてもらうと、私の中には年上を敬うという気持ちはさらさらないのだった。先に生まれたから偉いのではなく、その人の生き方をみたいと思う。
 私の好きな哲学っぽくなってしまったが、ここでは今回のテーマにふさわしい不思議なお話を1つ。前マネージャーの体験談から。

 彼が24歳の時、あこがれの彼女とのデート。待ち合わせ場所は、山手線品川駅に夕方6時とした。その日は小雨。彼は傘をささずに約束通りに待つ。5分、10分・・・彼女は来ない。約1時間後、彼はあきらめて帰る。翌日職場で会った彼女に、「どうして来なかったの」 「あらっ私30分も待ったのよ」。
 もう1度場所を照らし合わせてみると、両者間違いない。それでも、何かの手違いだろうと、それはそれで済む。
 そしてその3年後。仕事の帰り、山手線に乗り品川駅にまさに電車が滑り込もうという時、彼はそういえばそんな事が・・・、と思い出した。おりしも外は小雨、そして夕方6時。ふと例の待ち合わせ場所に目をやると、なんとそこにはあの日のボクが人待ち顔でウロウロしているではないか!! という事はあの時のボクは3年後にタイムスリップしていたという事か・・・。
 時間はあってないようなものというお話でした。

1992.12.12
産経新聞 「シティリビング」

@.

A.