愛のおはなし (PMR-0005)

愛のおはなし (PMR-0005)

発売元:ピュアモードレコーズ
発売日:2007年11月23日
価格:2,100円(税込)

収録曲:
01.あなたから見たら
02.恋の詩(うた)
03.こころ
04.愛のおはなし 〜おじさん編
05.愛のおはなし 〜若いおじょうさん編
06.やりなおし
(total time:22m49s)

produce ,all songs compose:遠藤響子
arrange:寺島陸也
piano:小森谷裕子
production planner:五十嵐洋(Full Sail Music)
recording engineer:武中章芳(エピキュラス)
recording engineer:寺尾修一郎(エピキュラス)
mastering engineer:川崎洋(FLAIR)
ピアノ調律:鈴木良(橋本ピアノ)
art direction:上原則博(Ud)
photo:JoBo(トヨダリョウ)
録音:フレサ吉見ホール エピキュラス

シンガー&ソングライター:
遠藤響子 (えんどうきょうこ)

“新に習得したクラシック唱法もまじえて、皮肉、賛美、深い愛を歌います。”

プロフィール:
静岡県出身。名古屋芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒。
大学在学中、第10回世界歌謡祭(1979)に「カリビアン・レビュー」のコーラスとして参加。双眼鏡で覗いていたレコードマンにスカウトされ1981年ビクターレコードより「告白テレフォン」でデビュー。以後シンガーソングライターとしてCD発表を続ける。
活動の幅は広く、テレビドラマ(3年B組慣八先生他)、映画(森田芳光監督「それから」他)に女優として出演、ラジオDJ(NHKサウンドストリートシリーズ他)などにも出演多数。 代表作はテレビドラマ山田太一脚本「輝きたいの」主題歌「輝きたいの」。女優としても出演したテレビドラマ「離婚テキレイ期」主題歌「雪が降るまえに」など。
他アーティストにも作家として楽曲を多数提供している。(酒井法子、森山良子、永井真理子他)
2003年よりプライベートレーベル「Pure Mode Records」で活動中。2007年発表“愛のおはなし”は通算14枚目のアルバム。
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編曲:
寺島陸也氏 (てらしまりくや)

プロフィール:
東京藝術大学作曲科卒、同大学院修了。
オペラシアターこんにゃく座での演奏や、97年東京都現代美術館でのポンピドー・コレクション展開催記念サティ連続コンサート「伝統の変装」、03年パリ日本文化会館における作品個展「東洋・西洋の音楽の交流」などは高く評価され、06年にはタングルウッド音楽祭に招かれボストン交響楽団のメンバーと自作を含む室内楽を演奏した。
作曲のほか、ピアノの演奏や指揮、音楽祭の音楽監督など、活動は多方面にわたる。オペラ『ガリレイの生涯』『末摘花』、合唱ファンタジア『オホホ島奇譚』『樹の奇・危・嬉〜ピカソくんとうたおう』、『尺八・二十絃箏と管弦楽のための協奏曲』、オーボエ・三味線と打楽器のための『異郷の景色』、朗読と筝、室内管弦楽のための『貝の火』など作品多数。
「大陸・半島・島/寺嶋陸也作品集」(ALCD-9026) 「二月から十一月への愛のうた(栗山文昭の芸術2/寺嶋陸也作 品集)」(VICS-61092)ほか多くのCDがある。
HP: http://www.gregorio.jp/terashima/

ピアノ:
小森谷裕子氏 (こもりやひろこ)

プロフィール:
桐朋学園大学付属「子供のための音楽教室」入室。同高校音楽科、同大学音楽学部卒。 この間、水口和代、山田富士子、江戸弘子の各氏に師事。在学中よりリサイタル、TV、FM、コンクール、CDなどで数多くの演奏家と共演している。又、霧島国際音楽祭、宮崎国際室内楽音楽祭など定期的に出演。
1990年アポロンレコードから「ドラゴンクエスト・オン・ピアノ」のCDを発売。同年、第9回チャイコフスキー国際音楽コンクールで最優秀伴奏賞を受賞。
2006年第1回カサド国際チェロ・コンクールで公式伴奏を務め原智恵子賞(最優秀伴奏者賞)を受賞。
これまでにダニール・シャフラン、ヨゼフ・スーク。ハーヴィ・シャピーロ、マリオ・ブルネロ、エマニュエル・パユなどと共演し、好評を得た。 現在、桐朋学園大学付属「子供のための音楽教室」講師。桐朋学園付属大学音楽学部弦楽科嘱託演奏員。

制作ノート

(1) 2007年9月14日
新作のレコーディングが始まりました。
ここまでなんと多くの時間を費やしたことでしょう!
今回もホール録音です。自分では弾かず全曲ピアノ伴奏をお願いしました。
隣でにっこりしていらっしゃるのがピアノの小森谷裕子さん。
こちらの難しい注文にも関わらず、大自然のようにすべてを受け止めて下さいます。

このあともまだまだ作業は続きます。
久しぶりの創作活動で私の心は天と地を行ったり来たり。
新しい試みでもあるので喜びと絶望の大波の中をスタッフの皆様の暖かい支えの中でやっています。



(2) 2007年10月3日
「声の改造@ 〜保多由子先生との出会い」

04年の12月。私はとある慈善コンサートに出させて頂きました。そのうちあげ会場では出演した歌手の方々もご一緒でした。その中に保多由子さんというメゾソプラノの歌手もいらっしゃいました。

宴も盛り上がって来て後半、「じゃぁ保多さんに1曲歌ってもらいましょう」と、ごく普通に幹事の方がおっしゃいます。 それを聞いて私は「え?歌わされるの?マイクないのに。どうしよう。私が指名されたら、何を歌うんだ・・・」と狼狽を感じている中、保多さんはすっとたち「では、ふるさとを歌います」 と、何のためらいもなく本番からかなり時間が立っているのにも関わらず、ふわっと柔らかい声で歌い出しました。

マイクのない会場で1曲歌って歌ってと気楽に言われると私はいつも大変困っていました。何か歌わないと場がおさまらない時には仕方なく、(平気なふりをしながら)マイクを使っている時には出さない大きな声でがなるように歌いお茶を濁していました。

歌手といいながら保多さんと私のこの差はなんなのだと本当にその時自分を情けなく思いました。 私は歌手と言っても発声の訓練をうけたことはなくすべて自己流。それなりの音楽世界は築けていたものの、いつも声に対する自信のなさがありました。自分の自信のなさを埋めるべくライブでは「モニターで世界作ってくれないと歌えないのよね」などと言う様になっていました。

経験だけはあり機材やエンジニアの腕の良し悪しだけはわかるようになっていました。でも心の奥では自分の声に対する自信のなさを知っています。声が持つ威力というのは直感で知っています。声は人そのもの。生きる姿勢そのものです。

もう私は自分をごまかし、傷つきやすい自分を守りながら歌うのはほとほと嫌気がさしていた時でもありました。どうしたら保多さんのように胸襟を開いて歌えるのか、何のためらいもなく歌えるのか。 翌年一人で試行錯誤を繰り返します。けれども所詮一人相撲。全く声は変わりません。そして06年になってすぐ、思い切って保多先生の門を叩きます。クラシック唱法を取り入れてうまくいくかどうかも保障はなく、そしてできたとしても自分の音楽につながるかも全くわかりませんでした。

そしてレッスン初日頭から全身をうちくだかれるような言葉をなげかけられるのです。 「歌っている顔が悪い。誰に向かって歌っているの?」 と。25年やってきましたなどという安いプライドはものの見事に崩れ落ちました。

(3) 2007年10月12日
「声の改造A 〜心の改造」

保多由子先生のレッスン初日。「誰に向かって歌っているの?」という問いかけに私は答えられませんでした。
「一番聞いてもらいたい人は誰?その人に向かって歌いなさい」と、言われても全く誰も浮かびませんでした。いつも録音ならヘッドフォンの中の自分の声、ライブならモニターの自分の声を聞くばかりで声を届けようなどという意識を持ったことはなかったのです。

これは恐ろしいことでした。聞いて下さる方とのコミュニケーションが取れていないことそのものを表していました。たくさんのファンの方々に応援して頂いているのにもかかわらず、舞台は孤独な戦いと孤高を気取っていました。肝心の私の心が閉じていたのです。
そして毎回レッスンの中で言われ続けたこと。

“息よ息。声は息なのよ。声を出そうと思わないで。感情は息に乗るのよ。息を相手に届けるのよ。息を見せて頂戴”と。

これも最初は全く理解出来ませんでした。
クラシック唱法の場合、喉を開き息を鼻まで集めて歌わなければマイクなしで届く声を出すことは到底無理です。
いくら言われても全く出来ず声帯に力を入れ喉が痛いばかりでした。
これを1年間繰り返します。来る日も来る日も今日は声が出るかと歌いました。でも全く出来ませんでした。

しかしそんな中でもふと安心したとき、胸をなでおろすような呼気に乗って声が響くことがありました。その時に歌は怖れではなく柔らかい胸と柔らかいほほで安心しながら歌うものなのだと気づきます。人前で安心して歌ったことがなかった私は世界が逆転したような思いでした。

いつからか誰に向かって歌うかといくら思い描いても何も浮かばなかったのが最初はにこにこしている自分が見え、次に家族、次に友人、知人、そして今ではにこにこしているたくさんのお客様が見えます。

声の改造は実は心の改造でした。クラシック的発声が歌唱の基礎であることも理解できて来ました。

この辺りからもうこれからは自分のために(自分を守るために)歌うのではなく人のために歌いたい(働きたい)人に喜んで頂ける歌を歌いたいという思いが強くなって来ました。

(4) 2007年10月24日
「編曲:寺嶋陸也さん」


06年一杯まるで学生にもどったように嬉々として声楽のレッスンに通う中で、何度も保多先生のコンサートに伺いました。そこでピアノ伴奏や作曲、編曲をてがけていらしたのが寺嶋陸也さんです。

クールで寸分の狂いもなく演奏なさる姿は青く深く静けさ漂う美しい湖を思わせました。はぁ、すごい方がいらっしゃるものだなぁと、いつも感動していました。クラシックの曲を演奏するには毎日毎日の精進が不可欠です。その音楽に対する真摯なご様子は言わずとも全身からあふれ出ていました。

07年に入ってすぐ、少しだけ自分の声をつかみかけた時、むくむくとやりたいことが見えてきたのでした。私の好きな彫刻家に若林奮(わかばやしいさむ)さんがいます。彼のお弟子さんのお話では 同じ鉄を削るのでも機械をつかえばものの10分ですむことを若林さんはそれではエネルギーは生まれないとし何ヶ月もかけて手で削るのだそうです。そしてその作品は鉄の塊としても、えもいわれぬエネルギーが立ち昇っているのでした。私は若林さんの作品の前で雷に打たれたようにたちつくしたことは度々です。

人間は何も言わずともそこにエネルギーが宿っているか、安直なものかはすぐ見破れます。 私が音楽家のはしくれとして表現したいもの。それは安直ではなくエネルギーがぎっしりつまった美しいものが作りたい!との思いを持つようになりました。

2月に入ると本格的に新しい声で曲作りに入ります。イメージはリンゼイ・ケンプの真夏の夜の夢。で、おばさんの妖精が世の中を斜めに見て皮肉ったり、人生を賛美したりするという設定です。これをクラシック的処方で表現してみたい!との思いが強まりました。

クラシック的とは譜面で言うと全部音符が書いてある楽譜(書き譜)で演奏するということです。ポップスはだいたいコード譜で演奏します。書き譜にするとコード譜のようにサウンドを勢いや固まりで表現するのではなくピアノだったらそれぞれの音を緻密に組み合わせて全体を表現することになります。

新しい曲を作って行くうち、あの寺嶋さんにお願い出来ないだろうかというアイデアが浮かんで来ました。そして恐る恐る保多先生に紹介をお願いしてみました。保多先生はお忙しいのにも関わらず間を取り持って下さいました。

そしてとり合えず3月に1曲を先行してピアノ伴奏の編曲をお願いすることが出来たのです。一ヶ月後に届いた譜面はぎっしり書き譜で、少し弾いただけで愛情深く曲を理解して下さっているのが手に取るようにわかりました。

もうこうなったら全曲お願いするしかないと思い切ってお願いすると!なんとやって頂けるとのご返事を頂けたのです。私はその時ばんざ〜い!、ばんざ〜い!としばらく部屋で小躍りしていました。 5月頭に依頼して全曲の譜面が届いたのが7月末です。届いた譜面は緻密で華麗で、それこそ愛情とエネルギーのかたまり。圧巻でした。頭の中で描いていた従来のポップスのクラシック的表現が目の前に形になって現れたのです。

(5) 2007年10月31日 
「ピアノ:小森谷裕子さん」

新しいCDはクラシック的な処方にすると決めて、今度はピアニストを探さなければなりませんでした。全くあてはありません。そんな中、名古屋へ遊びに行ってミュージシャンの友人と今度のCDのやりたいことを話していると、その友人が「僕の知ってる人なんだけどさ、小森谷さんて知っとる?(名古屋弁)」と、言います。

「知らない」と、私。「チャイコフスキー国際コンクールの伴奏で優勝した人なんだわ〜。デイヴィッド・ギャレットって言うヴァイオリニストが誰とやっても合わんかったのが小森谷さんとはばっちりだったらしい。」と、彼。

聞くと、3日後にそのデイヴィッド・ギャレットさんのコンサートが東京であります。私はすぐにチケットの手配をして4月11日東京オペラシティホールに行きます。そこで私はギャレットさんのヴァイオリンを包み込むように演奏する小森谷さんのピアノを聞きます。もう直感です。この方にお願いしよう!

帰宅するとすぐに名古屋の友人に紹介をお願いします。格の違いは歴然。でも、「ふところのふか〜い方」とお聞きしていたので一縷の望みを託して小森谷さんに連絡を取ります。

こちらはポップス出だけれども、どうしてもクラシカルな表現をしたい云々、制作の意図をお話しすると「うふっ。楽しそぉー。あたしでいいのかしら〜」と大変気さくにOKを頂けたのでした。

その電話の後もしばらくやったぁ!やったぁ!と小躍りしました。8月に入ってすぐ譜面を小森谷さんに送り、9月にリハーサルが始まりました。

小森谷さんのピアノは弾くたびにがらりと景色が変わり、私がこれまでのポップスの世界では聞いたこともない大胆さと自由さに溢れていました。リハーサルを重ねるにつれ深みは増し寺嶋さんの難しいアレンジを自分のものになさってくださいます。

寺嶋さんへのアレンジ発注内容のひとつに伴奏と言っても後ろに無難にいるのではなく横に並んできちんと意志があり並走する感じというものがありました。小森谷さんはその注文を表現するのをはるかに上回る力量、実力、経験、愛情をお持ちの方で、毎回、毎回小森谷さんのピアノを聞くのが本当に楽しみでした。

贅沢な美しい時間を過ごさせて頂けたことは今でも夢のように幸せです。レコーディングの合間に私がリクエストしたピアノ曲を初見でさらりと弾いて頂けたのもうれしかった。自分自身が音大でピアノ科を出てるとはいえ今回ほどピアノの素晴らしさ、音色の美しさを感じたことはありませんでした。

ホールのピアノもいい娘でした。(何故か女性) クールで緻密な寺嶋アレンジと大自然のような小森谷さんのピアノは大きな化学反応を起こし、さながら大きな台風のようにぐるりと両極の性格がねじれ、渦を巻きやがて暴風雨、そして私はその台風の目の静けさの中で歌ったようでした。

(6) 2007年11月13日
「新しい声での録音」


役者は揃った。これはすごいことになったと新しいCDへの手ごたえは感じていたものの、新しいシステムや新しい声で録音することにはものすごくナーバスになっていました。ああ、なんでこんなことをやると決めてしまったのだろうと度々思いました。

従来の声と新しい声とのバランスが本当に難しく本番寸前まで試行錯誤の連続。しかし声は楽器とは違い長時間歌い続けるわけにはいきません。無理が出来ないのです。ああ、もう今日はこれぐらいにしておこう、また明日だ。の繰り返しでとうとう本番の日はやってきてしまいました。

決死の覚悟で挑んだ初日。今回はクラシカルな響きを重視したいという思いからホール録音。ピアノと同じ舞台上で歌います。スタジオ録音ならいくら間違えても一人のミスで済みますが、同録となるとそうは行きません。家での練習なら勝手知ったるモニターですが、ホールでピアノが鳴り響く中、どこまで自分の生声を聞き、どこまでヘッドフォンを聞くかという自分が一番歌いやすい環境も基準がありませんでした。

初日は結局緊張と、ものすごい集中の中何とか歌えたものの、声を出しすぎて喉を痛めてしまったのでした。中一日でまた録音です。1日で体を回復させる自信は全くなし。携帯電話や会話も控え、足湯をして吸入器をして、漢方薬を飲んで。

この状態が自分でも本当に情けなく、回りのスタッフは小森谷さんをはじめ本当にみなさん良くやって下さっているのに自分だけが出来ていないし、この2年の練習が泡と消えたような気がしました。

1日中落ち込んでいましたが、不思議とその夜だけはものすごく久しぶりにぐっすり眠れたのでした。翌朝、ぱっちり目が覚めた瞬間。これはもしかしたらいけるかもしれないと望みを持てるような喉になっていました。よし、こうなったら、まず自分を信じることから始めなくてはと、ぐっと覚悟を決め、ホールに向かいました。

そこで冷静に喉の状態とモニターの改善点を見つけてくれるようエンジニアに伝え、再度録音が始まります。すると、環境になれたせいもあり、楽に声が出たのです!! 場の空気も熟成し創作の気で溢れていました。ピアノも一段と色彩鮮やかになっていました。

今回の録音は手慣れて悦に入ったものだけは作りたくないと思っていましたが、その点は楽にクリアしました。だってこの異常な集中、小森谷さんとの真剣勝負、新しい声、不安の海から自信を持つまでのジェットコースターのような感情の起伏、フレサホールを使うのも初めて、エンジニアとも初顔合わせ。と、どこをとっても全部新しいからです。

今回のCDはまるで新しいチームで作った木の匂いが一杯する新築の家みたいです。

制作ノートおわり